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zoom RSS トルコツアー 31(トプカプ宮殿)H22年/3月29日−6)

<<   作成日時 : 2011/02/18 14:29   >>

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平成22年3月29日(月)の観光はボスポラス海峡クルーズに始まり、ブルーモスク➝グランドバザール➝トプカプ宮殿(ハレムを除く)➝テュネル乗車➝イスティクラル通り散策➝ベリーダンスディナーショー と盛り沢山でした。

3月23日(火)から始まった長丁場の観光で疲れが出てきている上に今日の盛り沢山の観光ですが、明日のアヤソフィア(博物館)で最後になると思えば淋しくもなります。

今回も実際に撮影した写真はなく、前回同様、現地で買った冊子「イスタンブール」からの抜粋です。


・トプカプ宮殿

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約400年にわたって世界でもまれにみる巨大なオスマン帝国の管理中枢が置かれたトプカプ宮殿は、イスタンブールでははずせない観光スポットである。

トプカプ宮殿は年間3000万人近くが来訪するトルコでは第一の、ヨーロッパでも屈指の見学者を誇る博物館である。

1453年、当時のコンスタンチノーブルを征服した後、ベヤズィット地区を(現在のグランドバザール近く)の小さな宮殿を住まいとしていたオスマン帝国のスルタン・メフメットは、1475年〜1478年、旧ローマ市街にトプカプ宮殿の核となる建物を造らせた。

そのあと19世紀に立ち退くまでの数100年間、ここに住んだ各時代のスルタンが自らの必要性や趣味に応じて、宮殿を美しく飾り広げていったのである。

宮殿はスルタン一族のプライベートの場「エンデルン」と政治の場「ビルン」に大別でき、典型的なヨーロッパの宮殿とは建築様式が異なっている。

何百もの部屋を抱える広く長い建物とその前後に広がる対称的で幾何学的なデザインの庭をもつヨーロッパ宮殿と比較すると、トプカプ宮殿はこれこそ宮殿建設の数百年前まで、遊牧民の暮らしを営んできた民族の住まいであるとうなずかされる。

あたかも遊牧の民が仲間とともに宴の席を囲むため、平らな草地の周りに宴を描くごとくテントを張ったように、オスマン民族も宮殿建設にさいして広々とした庭を残して、そのまわりに様々な部屋を置いている。

★ハレム★
アラビア語で「禁断の・秘められた」の意味を持つハレムに由来し、公務を終えたスルタンがプライベートな時間を過ごした場所をハレムと呼ぶ。(ー日本の場合の大奥に相当かー)

1666年の大火で全焼した木造の造りに代わって、各部屋が迷路のように入り組む場所が新設され、300部屋を有するハレムができあがった。

現在公開されている部分はその一部であり、ほとんどが16〜18世紀に建設されたものである。外の世界とは完全に遮断されたハレムに入ることは、スルタンに最も近い親族とここで働く人間だけに与えられた特権であった。

三つの職といわれる健康を管理する医者、皇子たちの教育にあたる学者、祝日に呼ばれる楽団たちは、決められた広間に入ることが許されていた。

ハレムではスルタンの夫人や寵姫たちや母御意外に、ゆくゆくは権力の座につく可能性のある皇子たち、そして彼らの世話にあたる女性や宦官が生活していた。

当時のイスラム教が許す範囲で、スルタン自らも4人まで妻を迎えていた。ジャーリエ、オダルクの階級で呼ばれる女性たちは、征服地から連れてこられたあと、宮殿に相応しく厳しくしつけられた少女たちであった。

このうちスルタンの目にとまり子供を身ごもった女性には個室が与えられたが、その他大勢組はスルタンや家族の召使としてむなしくここで一生を終えるか、あるいは名のある政治家などと結婚させられ、ハレムを離れるのであった。

スルタンの夫人たちから召使まで、もともとハレムで暮らす女性たちのほとんどは、戦利品として征服地からつれてこられたり、奴隷市場で買い取られたり、スルタンに献上されたものであった。

各国からイスタンブールにつれてこられたこの美貌の少女らは、スルタンの最も身近に侍り、その後継者を身ごもることに躍起になった一方、スルタンはもとよりオスマン国家に対して真の親近感を抱くことはなかったといわれている。

その見かけのきらびやかさの裏側で、女性たちは常に駆け引きと根回しの世界で気の休まるときなどなかったのである。

オスマン帝国で帝位は直系の父から長男へとではなく、現スルタンの後は一族の中で最年長の男子に継がれ、寵妃たちはスルタンの第一皇子を出産することに懸命になった。

寵妃たちは「ハセキ」の称号を得てはじめて将来安泰というわけであるが、それでもなおハレムを支配し、スルタンに継ぐ地位にある母御(ヴァーリデスルタン)と皇帝の寵愛を受けた女たちとの確執はさけられないものがあった。

★宝物殿★
オスマントルコ帝国時代は17世紀以来、宮殿の財宝を管理するための部屋として使用されていた。コレクションの大部分は宮廷お抱えの宝石職人の手によるものある。


匙職人のダイヤモンド
トプカプの短剣
宝石をちりばめた水差し

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